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展 示@  第1室 ガレージ



戦後の手打ち式パチンコから電動式ダイヤルパチンコへ


最初のこの部屋は、戦後の手打ち式パチンコ台が電動式ダイヤルパチンコになるまでの経緯を、パチンコ機・コリントゲーム・スマートボール・スロットマシン他30数台と、「手打ち式パチンコの50年史」の年表で示すものである。

まずは、展示の年表の一部と「手打ち式パチンコの50年史」をご覧いただく。







「手打ち式パチンコの50年史」


 西暦(元号)           パチンコ前史
1898(明治31)年 ・チャールズ・フェイ、アメリカで最初のスロットマシン「カード・ベル」製造
1899(明治32)年 ・イギリスでバガテールを立てたウォールマシンの特許がとられ製造される
1900(明治33)年 ・ウォールマシンのピックウィックの特許がとられ製造される
・ウォールマシンのオールウィン「ユリイカ」製造される
・イギリスのヴィッカース社、戦艦三笠完成。名曲「軍艦マーチ」完成、後にパチンコ 
 店開店のテーマソングとなる
1903(明治36)年 ・風車付オールウィン「不死鳥のひな」製造される
・日本で第5回内国勧業博覧会が行われる
1905(明治38)年 ・日本の実用新案制度始まる(日本の特許第1号は1885年8月)
1907(明治40)年 ・永井荷風、『あめりか物語』の「暁」でコニーアイランドの日本人の玉ころがし(日本
 版バガテール)屋を記録
・前田河広一郎、渡米し、露店の玉ころがし屋を経験
1910(明治43)年 ・日韓併合
・浅草にルナ・パーク開業
1911(明治44)年 ・宝塚新温泉開業
1912(明治45)年
    (大正元)年
・大阪の新世界ルナ・パーク開業
1914(大正3)年 ・第一次世界大戦始まる
1915(大正4)年 ・永田寅吉、「パチンコの釘の源流」、ドロップマシンの実用新案出願
1920(大正9)年 ・めりけんじゃっぷ、谷譲次、アメリカのミシガン州とオハイオ州で玉ころがし営業
1921(大正10)年 ・広津和郎が『遊戯場』という随筆で、玉ころがしを詳しく記録
1924(大正13)年 ・石黒敬七、柔道普及のため渡仏、パチンコの元、マシン・ア・スウ(ウォールマシン)
 で遊ぶ。「スウ」とは小銭のことである。パチンコは一銭パチンコから始まった
1925(大正14)年 ・フィンランドでコリントゲームの元、「フォルトゥナ」誕生
        ここからが手打ち式パチンコの50年
1926(大正15)年
    (昭和元)年
・大阪の遠藤美章商会により、ウォールマシン、ドロップマシンが日本でコピー、製造さ
 れる。コピーされたウォールマシン、ドロップマシンの裏側を取り除き、人間が操作す
 るパチンコ(一銭パチンコ)が誕生
1929(昭和4)年 ・イギリスでフォルトゥナがコリンシアンバガテールという名称で発売される
・大阪で露店パチンコが普及し、大阪の西村新太郎・大對芳太郎、初のパチンコの 
 実用新案出願。同じく大阪の岡兵三、2番目のパチンコの実用新案出願
・パチンコの鈴富商会創業
1930(昭和5)年 ・京都で露店パチンコ流行
・1930年代、アメリカでバガテールがピンボールと呼ばれるようになる
1931(昭和6)年 ・大阪の大對芳太郎、日本初のクレーンゲームの特許出願
・日本娯楽機製作所の遠藤嘉一、浅草松屋にスポーツランドを開業させる
1932(昭和7)年 ・上海事変、満州国建国、五・一五事件
・日本でコリントゲーム発売
・大阪で初の一銭パチンコ禁止
・この頃、鈴富商会の上野鈴吉、上海でパチンコ営業
1933(昭和8)年 ・福岡県でパチンコとコリントゲーム禁止
・マシン・ア・スウ(ウォールマシン)が登場するルネ・クレール監督の映画「巴里祭」日 
 本公開、大ヒット
1934(昭和9)年 ・石川県でメタル式パチンコ禁止、当時石川県下に、約150軒のパチンコ店があった
・鈴富商会社員梯正雄、釜山・台南・満州でパチンコ営業
1935(昭和10)年 ・秋田県で4月、神奈川県で5月、パチンコ禁止 
・富山寅平、バラ釘メタル式パチンコの実用新案出願
1936(昭和11)年 ・二・二六事件
・正村竹一、名古屋でパチンコ店開業
1937(昭和12)年 ・日中戦争始まる
・中川清、バラ釘全玉式パチンコの実用新案出願
・この頃、鈴富商会の上野鈴吉、上海、北京でパチンコ営業
1938(昭和13)年 ・国家総動員法がしかれる
・グレアム・グリーン小説『ブライトン・ロック』発表。舞台のブライトンの「パレス・
 ピア」にコインマシンの遊技機が多数登場する
1939(昭和14)年 ・第二次世界大戦始まる
1940(昭和15)年 ・七・七禁令で風俗営業不許可、パチンコ機他、遊戯娯楽機の製造禁止
1941(昭和16)年 ・日本真珠湾攻撃、太平洋戦争勃発
・鈴富商会の上野富十死去
1945(昭和20)年 ・8月15日、終戦。在日コリアン210万人
1946(昭和21)年 ・露店パチンコ再登場
・在日本朝鮮居留民団創設、後に在日本大韓民国民団(略して民団)となる
1947(昭和22)年 ・新憲法施行
・自治体警察ができる
・パチンコ貸し玉料金1個1円
1948(昭和23)年 ・東京・大阪でパチンコブーム
・風俗営業取締法施行
・在日コリアン中島健吉、パチンコ店開業。同じく在日の許弼?、モナミ商会(後の三 
 洋物産)創業
1949(昭和24)年 ・中島健吉、群馬県桐生市で平和商会創業
・丸新物産(後のニューギン)創業
・貸し玉料金1個2円
・全国のパチンコ店数4818軒
・黒澤明監督「野良犬」(新東宝)に露店パチンコが登場し、スクリーンに丸型セン
 ターケースのパチンコ台が映る。だがこのケースの玉補給は人間が行った
1950(昭和25)年 ・朝鮮戦争勃発、軍需景気が起こる
・長崎一男、センターケースのオール物の機構を発明、各メーカーがオール物を製造
・マルホン工業創業
・名古屋がパチンコ機製造70%のシェアを握り、製造のメッカとなる
・全国のパチンコ店数8450軒
1951(昭和26)年 ・闇市時代終わる
・マルト商会(後の豊丸産業)創業
・清水一二、群馬県桐生市で西陣創業
・モナミ製作所と正村竹一の正村商会が、後に正村ゲージオール15と呼ばれるパチ
 ンコ台を販売。10月封切の「ホープさん」(東宝)に正村ゲージのオール15(メーカー
 不明)が登場
・全国遊技業組合連合会(全遊連)結成
・18歳未満のパチンコ禁止(大人の同伴者がいれば可)
・全国のパチンコ店数1万2038軒、有楽町のパチンコ店で「軍艦マーチ」がかかる
1952(昭和27)年 ・サンフランシスコ講和条約により、日本独立
・住民登録法実施
・1月、石黒敬七・矢野目源一共著『パチンコ必勝讀本』発行。同じく1月、朝日新
 聞がパチンコを取り上げる。同1月、齋藤寅次郎監督「大当りパチンコ娘」(新宝)
 で鈴富が撮影協力、石黒敬七出演
・パチンコの黄金時代到来。新東宝配給「殺人容疑者」8月封切、スクリーンにモナ
 ミの正村ゲージオール15が映る。10月、小津安二郎監督「お茶漬けの味」(松竹)
 では笠智衆と望月優子夫婦のパチンコ店で、鶴田浩二と津島恵子がパチンコを打
 つ
・連発式パチンコ台開発
・全国のパチンコ店数4万2168軒
1953(昭和28)年 ・連発式パチンコ、空前のブーム。連発式オール15のほとんどが正村ゲージとなる
・全国のパチンコ店数4万3452軒
1954(昭和29)年 ・警察法改正、自治体警察は廃止され、都道府県警察に再編成される
・連発式禁止令、オール20も禁止される
・春日八郎の「お富さん」、パチンコ店のテーマソングとなる
・片手で打てた連発式禁止で、全国のパチンコ店数2万9416軒
1955(昭和30)年 ・在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総連)結成
・連発式禁止で、全国のパチンコ店数1万6113軒
1956(昭和31)年 ・日本は神武景気に湧くが、パチンコメーカーの倒産とパチンコ店廃業が相次ぎ、全
 国のパチンコ店数が6901軒と激減。2月封切の山本嘉次郎監督「暗黒街」(東
 宝)では、ヤクザ経営のパチンコ店の経営者が連発式禁止で売上げが激減したと
 嘆くシーンがある。もはやオール10では客が呼べず、オール20は禁止。パチンコメーカ
 ー各社は、正村ゲージオール15に魅力的な役物を付け活路を見い出す他方法が
 なく開発に凌ぎを削った。だが正村商会はこの競争から脱落、スマートボールで乗り
 越えようとした
1957(昭和32)年 ・ジンミット他役物登場。無人機開発で一尺島が登場し、玉補給の従業員削減。
1958(昭和33)年 ・パチンコにマージャン(麻雀)を取り入れた「雀球」登場
・玉の自動捕球装置が開発され、パチンコ店のオートメーション化が始まる
1959(昭和34)年 ・北朝鮮への最初の帰還船出航
・全遊連会長に水島年得就任
1960(昭和35)年 ・日本遊技機工業協同組合設立、初代理事長に平和の中島健吉就任
・チューリップの実用新案が出願される(公告は昭和37年)
1961(昭和36)年 ・大阪方式が始まり、換金ができるようになる
1962(昭和37)年 ・12月、堀内真直監督「ちんじゃらじゃら物語」(松竹)封切。この映画は日本遊技
 機工業協同組合と全遊連が協力し製作された。主人公は伴淳三郎の、名古屋
 のパチンコの元祖とされる人物である。この辺りから正村竹一が「パチンコの神様」
 「釘の神様」と呼ばれるようになり、正村ゲージは正村竹一個人が作ったという伝説
 が広がる
1963(昭和38)年 ・日本遊技機工業協同組合が日本遊技機工業組合(日工組)に改組
1964(昭和39)年 ・クラゲとチューリップが全国的に普及
・スロットマシンのオリンピア・マシン(パチスロの元祖)登場
1965(昭和40)年 ・日韓条約締結
・全国のパチンコ店数1万軒を越す
1966(昭和41)年 ・毒島邦雄、群馬県桐生市で三共創業
・各県のパチンコ店の組合が大同団結し全国遊技業協同組合連合会(全遊協)
 発足
1968(昭和43)年 ・正村竹一、日工組5代目理事長となる
1969(昭和44)年 ・連発式、百発皿(1分間に玉が百発以内の発射から命名された)で15年ぶりに復
 活
1970(昭和45)年 ・「少年マガジン」に『釘師サブやん』が連載され、正村ゲージ伝説が確立する
1972(昭和47)年 ・アレンジボール(アレパチ)登場
1973(昭和48)年 ・電動式ダイヤル・ハンドル登場
・鈴富商会の上野鈴吉死去
1975(昭和50)年 ・正村竹一死去
1976(昭和51)年   手打ち式パチンコ時代、約50年間で終わる
1977(昭和52)年 ・パチスロ(パチンコ型スロットマシン=回胴式遊技機)認可
・ジョン・トラボルタ主演の「サタデー・ナイト・フィーバー」大ヒット
1978(昭和53)年 ・インベーダーゲーム登場
1979(昭和54)年 ・インベーダーゲーム爆発的人気によりパチンコ店打撃
1980(昭和55)年 ・スロットマシンのリールが付いたフィーバー機登場、正村ゲージが不必要となる。正村
 ゲージは実に30年近く命脈を保った。これほど長く続いた遊技機のデザインは他に
 ない。だが正村ゲージは正村竹一個人が生み出したものではなく、パチンコ業界全
 体が警察の規制の中、総力をあげて生み出したものである
1981(昭和56)年 ・武内国栄、日工組7代目理事長に就任
1985(昭和60)年 ・パチスロのメダルの値段がパチンコ玉の5倍となり、パチスロ大人気
・『ザ・パチンコ パチンコ大図鑑』発行、武内国栄により正村ゲージ誕生の誤った記
 述が載る。この年、パチンコの草創期を知る、鈴富商会の生川富美死去
                               (*パチンコ軒数は『朝日年鑑』による)